2021年、Rebecca L. Pratt博士が、
ヒアルロン酸と筋膜の境界(Fascial Frontier)に関する
レビュー論文を発表されました。
動きが界面を保ち、不動がそれを停滞させていく——
博士のお仕事から、AGGTが学ばせていただいたことの記録です。
2021年6月、International Journal of Molecular Sciences 誌に、ひとつのレビュー論文が掲載されました。
著者は、米国ミシガン州・オークランド大学ウィリアム・ボーモント医学校・基礎医学研究部門の Rebecca L. Pratt博士。論文の編集者として名を連ねておられるのは、パドヴァ大学の Carla Stecco博士です。後に Stecco's team が2022年に多臓器横断の Densification 論文(本サイトの EVIDENCE · 003)を発表される、その前年に、Stecco博士ご自身が編集者として世に送り出された一本のレビューがあった——時系列で並べて読むと、そういう関係になります。
タイトルは "Hyaluronan and the Fascial Frontier"。日本語に置き換えれば、「ヒアルロン酸と、筋膜のフロンティア」。原題の frontier は、辺境・前線・界面を同時に指す英語の言葉として用いられています。
Pratt博士のレビューは、ヒアルロン酸というひとつの分子が、結合組織の細胞外マトリックスのなかでどう振る舞っているかを整理することから始まります。化粧品の保湿成分として、関節注射として、薬剤送達の担体として——ヒアルロン酸は医療と日常の双方で名を知られている分子です。けれど博士は、ご自身のレビューを、ある問いから始められます。
その場所が、筋膜——層と層のあいだ、組織と組織の界面、frontier と呼ぶべき境界面である、というのが博士の出発点です。
ヒアルロン酸は、結合組織の細胞外マトリックスのなかで、最も豊富に存在する多糖類です。そして筋膜は、全身を網のように覆い、貫き、繋ぐ結合組織の連続体です。両者は、身体のどの部位を取っても、必ず一緒に存在しています。にもかかわらず、なぜ、両者の関係は近年まで論じられてこなかったのか——博士のレビューは、この問いを背景に置きながら、八十年余りの蓄積を、frontier の側へ向け直す作業として進められていきます。
博士は論文のなかで、筋膜について次のように書かれています——「最も華やかな臓器系ではないかもしれない。けれど、最も影響力のある臓器系のひとつである」と。博士はこのような言葉から、レビューを始められます。
ヒアルロン酸(hyaluronic acid / hyaluronan, HA)は、N-アセチル-D-グルコサミンとD-グルクロン酸が交互に繋がる二糖単位の繰り返しから成る、直鎖状のグリコサミノグリカンです。生体内での分子量の幅は、5,000 ダルトンから 20,000,000 ダルトン(約5千から2千万)に及びます。Pratt博士のレビュー全体を通して繰り返し強調されるのは、機能がサイズに依存するという事実です。
健康な組織では高分子量のHAが優位で、抗炎症的・免疫抑制的に働きます。一方、低分子量の HA 断片は、CD44 受容体や RHAMM 受容体を介して、炎症反応や細胞運動を促進する方向に働きます。同じ分子であっても、サイズによって役割の方向が変わる——これが、本レビューを読み進めるための前提となります。
Pratt博士のレビュー第2章では、ヒアルロン酸を作る細胞たちが順に紹介されます。
線維芽細胞、平滑筋細胞、滑膜細胞——いずれも、それぞれの組織でヒアルロン酸の生産に関わってきた、よく知られた細胞型です。けれど、この章でPratt博士が独立した節を割いて紹介されるのが、もうひとつ別の細胞でした。
fasciacyte(ファシアサイト・筋膜細胞)。2018年に、Stecco博士たちのチームが見出された、新しい細胞型です。
博士たちは、深筋膜の層と層のあいだの疎性結合組織のなかに、線維芽細胞によく似ているけれど、形態が膨らんでいて、核が中央に位置する、別種の細胞が単層として並んでいることを観察されました。これらの細胞は、HAS2 と呼ばれるヒアルロン酸合成酵素の遺伝子を発現しています。すなわち、層と層のあいだに住み、ヒアルロン酸を作り続けている細胞——その存在が、2018年に初めて、明確に記述されたのです。
Pratt博士のレビューは、この発見を、HAを作る細胞たちのひとつとして、他の細胞型と並べて位置づけられます。
そして、この章の中でもうひとつ重要な仕事として紹介されているのが、2018年の Fede et al. による、人体の各部位の筋膜のヒアルロン酸量の定量化です。
未防腐の遺体から採取された筋膜サンプルが、生化学的に分析されました。その結果、興味深い分布が見えてきました。
ヒアルロン酸の量は、その部位が必要とする「滑走の必要量」と呼応していました。滑らせる場所には、滑らせるための量が、あらかじめ配備されている。逆に、固定されたままで使われる場所には、その量は少ない。
retinacula(レチナクラ・支帯)は、関節の周囲で腱や血管・神経を束ねる帯状の深筋膜組織です。手首・足首・膝の周囲などに存在し、関節運動に伴う複雑な滑走を許容する設計になっています。Fede 2018 が示した「足首の retinacula に 90 μg/g の HA が分布する」という所見は、この組織が大きな相対運動を支えるために、それに見合う量のヒアルロン酸を蓄えているという事実を、量的に裏付けるものでした。
Pratt博士はさらに、深筋膜そのものの組織構造に話を進められます。深筋膜は、平均して 277 μm(±86.1)の厚さの平行な膠原線維束の層が、2〜3層重なっています。隣り合う層の膠原線維は、互いに 75〜80°の角度をなして交差しており、各層のあいだは、平均 43±12 μm という、ごく薄い疎性結合組織で隔てられています。この薄い界面に、ヒアルロン酸が住み、層と層を滑らせている。
博士はこの構造について、こう書かれています——「これら全ての結合組織要素が、滑走を許容するように適切に分布していて初めて、深筋膜は本来の機能を果たすことができる」。
レビューの第6章「HAと筋膜性疼痛」のなかに、6.1 Immobility(不動性)と題された項があります。
この項のなかで、Pratt博士は、ヒアルロン酸が動きとどう関わっているかについて、いくつかの先行研究を引きながら整理されています。
動きが入力されるとき、ヒアルロン酸は新しく作られ、古いものは分解され、回転している。粘度は適切に保たれ、層と層の滑りが維持される——という、第2章でも触れた状態です。
その動きが入らなくなるとき、ヒアルロン酸の濃度は上がる。回転は止まる。粘度は上昇する。鎖と鎖が絡み合い、凝集する。短くなった断片が、自分どうしで貼り付き合う——博士は、Cowman et al. 2015 などの先行研究を引きながら、この過程を順を追って記述されます。
そうして、層と層のあいだの薄い疎性結合組織が、本来の薄さを保てなくなる。Pratt博士は、Stecco博士たちの先行研究を引きながら、この現象を Densification(密度化) という名前で記述されます。同じ名前が、AGGTが先に学ばせていただいた EVIDENCE · 003「潤滑油から、接着剤へ」の論文(Stecco 2022)にも出てまいりました。
ヒアルロン酸は作られ、分解され、回転している。粘度は適切に保たれる。層と層が、滑り続ける。
ヒアルロン酸の濃度が上がる。粘度が上がる。鎖どうしが凝集する。層と層の滑りが、停滞していく。
博士は、この項の終盤で、ひとつの可能性に触れられます。この変化は、おそらく可逆である。温度・pH・機械的な歪みによって、凝集した鎖を再び解きほぐすことができるかもしれない——という方向の仮説です。Stecco博士たちが先に提案された、温度上昇と局所のアルカリ化によって凝集を解きほぐす、という仮説も、Pratt博士のレビューのなかで引かれています。マッサージや徒手療法、運動療法が筋膜性疼痛にもたらす緩和の根拠が、ここに求められうる、と。
ここまでの第1章〜第3章は、Pratt博士のレビュー論文そのものの解説でした。
ここから先は、その仕事に触れたAGGTが、何を受け取り、自分たちの臨床にどう活かそうとしているか——その学びの記録です。
これらはAGGTとしての解釈であり、Pratt博士の主張そのものではありません。
Pratt博士のレビューを読み返したとき、AGGTの臨床のなかで長く言葉にできずにいた、ある実感が、ようやく整理されていく感覚がありました。
動かしているところは、滑り続ける。動かさなくなるところは、貼り付いていく——というのは、施術の現場でずっと感じてきたことです。けれど、その「貼り付く」という現象が、組織の中でどう進んでいるのかを、自分の言葉で語ることは、長くできずにいました。
Pratt博士のレビューが教えてくださったのは、その界面に、fasciacyte というヒアルロン酸を作り続ける細胞が住んでいて、動きが入ることで、ヒアルロン酸の回転が保たれている、という構造でした。
ここで、AGGTが先に学ばせていただいた、もう一つの仕事を、合わせて思い出します。
Stecco博士たちの2022年論文(EVIDENCE · 003)は、ヒアルロン酸の凝集(Densification)が、肝臓・眼・肺・腎臓・血管・筋・筋膜・皮膚など、人体のさまざまな臓器で起きうることを総括されました。Pratt博士は、その同じ Densification を、筋膜の界面という、特定の場所に焦点を絞って描き直してくださったのだと、AGGTには受け取れます。
Stecco 2022 が示した「臓器を横断する共通の現象」と、Pratt 2021 が示した「層と層のあいだに住むヒアルロン酸を、動きが日々保っている」という記述は、AGGTの中で、ひとつの絵として繋がりました。動きが、界面を保っている。動きが止まれば、界面は静かに濃く、貼り付き始める——という、共通の構造です。
もうひとつ、AGGTがこのレビューに重ねて思い出すのは、東京大学・理化学研究所の岡田康志先生が、ある一般向けの対談のなかで使われた「煮凝り」という比喩です。生きている細胞は、エネルギーを消費して中身を撹拌し続けることで、本来なら自然に進む「煮凝り」の状態を防いでいる——という、分子レベルの生命観です。
分子のスケールでも、組織のスケールでも、流れと撹拌が止まったとき、生命は静かに固まる方向へ向かう。Pratt博士のレビューは、そのことを、筋膜という frontier の物語として、AGGTに改めて教えてくださいました。
ここから、AGGTにとって最も切実な問いが立ち上がってきます。
Pratt博士のレビューは、動きが筋膜の界面をどう保っているかを描いてくださいました。けれど、その動きが、日常生活のどこから供給されているか——という問いは、博士の射程の外にあります。それは、博士が扱われたテーマではないからです。
その問いを、自分たちの臨床のなかで考え続けてきたAGGTにとって、答えのひとつは——少なくとも、入り口のひとつは——非常にシンプルなものでした。
歩くこと。
人が立ち、踵で地面を踏み、体重を移し、また踵で踏む。この一連の機械的入力が、足元から上へ、繰り返し全身に伝わっていく。これが、おそらく、人体の筋膜にとって最も基礎的で、最も日常的な「動き」の供給源です。
この入り口の質が、Pratt博士の描かれた界面の状態にどう関わっているかは、AGGTの側で軽々しく断定できることではありません。けれど、この入り口を測ることはできる——そこにAGGTの仕事があると、私たちは考えるようになりました。
AGGTが日々の臨床で測っているのは、踵骨傾斜角と呼ばれる、たった一つの角度です。
踵の骨が、地面に対して何度傾いているか。たったそれだけの数値ですが、ここを起点として、頭頂から足底までを貫く全身の重心軸の偏位を、三角関数を使って計算することができます。
d = H × tan(α)
踵骨傾斜角 α が1°変われば、身長 H に対して d ぶんだけ重心軸が偏位する。
この計算自体は、誰の身体でも同じように成り立ちます。三角関数は嘘をつきません。
ただ、AGGTがここでお伝えしたいのは、計算の精度や数値の意味ではありません。Pratt博士のレビューから学ばせていただいたあと、この踵骨傾斜という小さな角度が、それまでとは少し違って見えるようになった——そのことです。
もし、Pratt博士が描かれた fasciacyte のヒアルロン酸生産が、機械的な動きの入力に呼応するものだとしたら——そして、人体にとって最も基礎的な機械的入力の供給源が歩行だとしたら——歩行のなかで踵がどう地面に接するかも、その流れのなかにある、ひとつの入り口なのかもしれません。
踵という重力と抗重力の交差点で、そこで生じる微細なズレが、機械的入力の伝わり方にある種の影響を与えているとしたら——という、微かな疑問です。
AGGTは、この踵接地の質を直接測る道具を持っているわけではありません。私たちが測れるのは、立位での踵骨傾斜角だけです。けれど、その小さな角度の中に、その人の足元で日々繰り返されている機械的入力の偏りが、わずかでも反映されているのではないか——そう仮定して、観察を積み重ねさせていただいています。
ここでAGGTが述べていることは、AIとの対話のなかで論理的に整理した類推であり、Pratt博士のレビュー論文によって直接支持されたものではありません。fasciacyte によるヒアルロン酸生産と踵骨傾斜を結ぶ因果関係は、現時点では検証されておらず、実証は今後の追試観察に委ねられています。
AGGTサイトに掲載されている数値・係数・閾値の多くも、AIとの対話から生成された暫定的な目安です。臨床経験や学術研究によって確立された値ではありません。これらは、世界中からのデータ蓄積によって検証・更新されることを前提として公開されています。
Pratt博士のレビューには、研究者として静かな誠実さが流れています。
博士は、ヒアルロン酸と筋膜の関係について、たくさんの「分かりつつあること」と、それと同じくらい多くの「まだ分かっていないこと」を、注意深く区別して書かれます。fasciacyte が筋膜のなかにいることは観察されたが、それがどのように調節され、どのような疾患の経過にどう関与するかについては、まだ多くの問いが残されている——そういう書き方です。
そして、博士はレビューの最後に、こう書いて結ばれます——筋膜は「最も華やかな臓器系ではないかもしれない。けれど、最も影響力のある臓器系のひとつである」と。
AGGTは、Pratt博士のこの「華やかではないけれど、影響力のあるもの」を、地味に書き続ける誠実さを、ささやかでも見習いたいと願っています。
AGGTが見つめているのも、決して華やかなものではありません。踵の骨が、地面に対してわずかに傾いている。その角度が、その人の身体のうえで何を意味しているのかを、ゆっくり測り続ける。それだけの作業です。
この地味な観察を、世界中の臨床家・研究者・施術家・患者の方々と一緒に積み重ねていく——そのことが、もし、Pratt博士が描かれた frontier、Stecco博士たちが描かれた多臓器の Densification、岡田先生が示された分子レベルの「煮凝り化」という、深い研究の流れと、ほんの細いところで繋がっているのだとしたら、それは、AGGTにとって本当にありがたいことだと思っています。
AGGTができるのは、踵骨傾斜と、それが全身重力軸にどう波及するかを、誰でも、無料で、世界中のどこからでも測れるようにすることだけです。その先にある「誰にどんな機械的入力が、どう効くか」の答えを、世界中の追試観察と一緒に、ゆっくり積み重ねていくこと——それが、AGGTの願いです。
「分かっていることは自信を持って書く。分かっていないことは正直に分かっていないと書く。」——Pratt博士から学ばせていただいた誠実さを、AGGTもささやかに引き継いでいきたいと思っています。
Pratt博士。
筋膜の frontier に光を当て、ヒアルロン酸の物語をひとつのレビューとしてまとめてくださって、ありがとうございます。
博士のお仕事に、深い敬意を込めて。
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