2001年、米国の足病医 Kevin A. Kirby博士が、
距骨下関節の軸を「一本」ではなく「束」として描き出しました。
その仕事から、AGGTが学ばせていただいたことの記録です。
Kevin A. Kirby博士は、米国カリフォルニアの足病医(podiatrist)です。
足病医という職業は、日本ではあまり馴染みがないかもしれません。足の病気・障害を専門に診る医師のことです。靴の中で起きていること、歩行のなかで足に伝わる力、踵の骨が地面に対してどう傾いているか——そうした「足元のこと」を、生涯のテーマとして見続ける人たちです。
Kirby博士が、若き臨床家であった1987年。彼は一つの技術を発表されます。
STJ Axis Palpation Technique——日本語に訳せば、「距骨下関節の軸を、触診で位置決めする技術」。
患者の足を手で押し、内側から、外側から、ゆっくり力を加えていく。すると、足が回内する(内側に倒れる)か、回外する(外側に起き上がる)か、ある一点を境にきれいに分かれる場所が見つかる。その境界線こそが、距骨下関節の軸がある場所だ——という臨床的アプローチです。
この技術には、深い意味がありました。それまで距骨下関節の軸は、「教科書に書いてある一本の線」として扱われることが多かったのです。屍体足部での解剖学的計測から導かれた、平均的で固定された軸。
しかし、Kirby博士が触診で見つける軸は、患者ごとに違っていた。同じ「人間の足」でも、軸の位置は人によって違う場所にある——という臨床所見が、1987年の論文で報告されました。
この発見が、14年後の2001年論文へと繋がっていきます。
2001年、Kirby博士は米国足病医学会誌(JAPMA)に、距骨下関節の力学を体系的にまとめた論文を発表されました。
タイトルは、"Subtalar joint axis location and rotational equilibrium theory of foot function"。「距骨下関節の軸の位置と、足機能の回転平衡理論」。
この論文の中で、Kirby博士はこう記されました。
距骨下関節の軸は、固定された一本の直線として理解されるべきではない。回内位、中立位、回外位——足の姿勢が変わるごとに、軸の位置も連続的に変わっていく。だから、距骨下関節の軸は、「軸の束(bundle of axes)」として描かれるべきだ、と。
これは、当時の足病医学にとって、概念的な転換点でした。それまでの教科書では、距骨下関節は「一本の軸を持つ蝶番のような関節」として描かれることが多かった。Kirby博士の論文は、その理解に、より精緻で個別的な視座をもたらしました。
しかも、回外位と回内位での「軸の振れ幅」も、人によって違う。ある人は軸の位置がほぼ動かない。別の人は、軸が大きくスライドする——そうした個体差の存在を、Kirby博士は論文の中で繰り返し強調されています。
距骨下関節は、距骨と踵骨が前距踵関節・中距踵関節・後距踵関節という3つの関節面で接する複合関節です。教科書では「modified saddle joint(変形鞍関節)」と分類されることもあります。3つの関節面が異なる曲率と方向を持っているため、足の姿勢が変わると、それぞれの関節面で接触している場所が変わります。結果として、関節全体としての「回転の中心軸」も連続的に変わっていく——これがKirby博士が示した軸の束(bundle of axes)の解剖学的・力学的根拠です。
Kirby博士の論文には、もう一つの大きな柱があります。
それが、Rotational Equilibrium Theory(回転平衡理論)。
足は、地面に立っているとき、上から重力に押され、下から地面反力に押し上げられています。この力は、距骨下関節の軸を中心にして、シーソーのように釣り合おうとする。軸の内側にかかる力と、軸の外側にかかる力。このバランスが、足の姿勢を決めていきます。
ここで、第2章の話と接続されます。
もし軸の位置が誰でも同じ場所にあるなら、シーソーの設計図も誰でも同じです。同じ場所に同じ重さを置けば、誰でも同じように釣り合う。
でも、Kirby博士が示されたように、軸の位置は人によって違う。誰かは軸が内側寄りにあり、誰かは外側寄りにある。だから、同じ大きさの力が同じ場所にかかっても、シーソーの傾き方は人によって違ってくる——そういう個別性を、Kirby博士は力学モデルとして体系化されました。
回内・回外という現象を、「足が崩れる/崩れない」という曖昧な記述ではなく、軸とシーソーという力学概念で記述可能にした。これがKirby博士の2001年論文が、足病医学の現場に残した最も大きな贈り物の一つです。
ここまでの第1章〜第3章は、Kirby博士の論文そのものの解説でした。
ここから先は、その仕事に触れたAGGTが、何を受け取り、自分たちの臨床にどう活かそうとしているか——その学びの記録です。
これらはAGGTとしての解釈であり、Kirby博士の主張そのものではありません。
Kirby博士の「軸の位置は人によって違う」という発見は、AGGTにとって、とても深い示唆を与えてくれました。
Parkes 2013——英国マンチェスター大学のチームが発表した、外側ウェッジインソールのメタアナリシス。物理的にはインソールが膝内側への荷重を減らしていることは確認されたのに、痛みの軽減は集団レベルでは確認できなかった、という誠実な報告でした。
この「集団平均では差が出ない」という事実を前にして、私たちは長く立ち止まっていました。物理的に荷重が動いているなら、なぜ症状は動かないのか。
Kirby博士の「軸の束」概念を読み返した時、この問いに、ひとつの視点が与えられたように感じました。
距骨下関節の軸の位置が、人によって違うのだとしたら——
同じインソールが、同じように効くと考えるほうが、不自然なのかもしれない。
ある人にとっては「軸の内側に楔を入れること」になっても、別の人にとっては「軸そのものの上に楔が乗ること」になり、また別の人にとっては「軸の外側に楔が来ること」になる可能性がある。シーソーへの介入の意味が、人によって変わる——そう仮定して読み直すと、Parkes博士たちの結果が、急に腑に落ちる気がしたのです。
これはあくまでAGGTとしての解釈であり、Kirby博士ご自身が「だからインソールは効かない」とおっしゃったわけではありません。Kirby博士が示してくださったのは、軸が個別であるという力学的事実です。その事実を、Parkes博士たちが見たメタアナリシスの結果と並べて読む——その行為の責任は、私たちAGGTの側にあります。
けれど、こうして二つの先人の仕事を並べて読むことができるのは、Kirby博士が「軸は束である」と書き残してくださったからこそです。「軸が一本」という前提のままだったら、Parkes博士たちが見た現象を理解する道具を、私たちは持てなかった。
Kirby博士のシーソーは、足部という局所のなかで、極めて精緻に組み立てられた力学モデルです。
AGGTが日々の臨床で試みているのは、Kirby博士が描かれたこの局所のシーソーを参照しながら、もう少し広い視座——頭頂から足底までを貫く全身の重心軸——を観察することです。
これは、Kirby博士の理論を「発展させた」ものでも「拡張した」ものでもありません。Kirby博士の力学モデルは、足部単位で完結した、それ自体として完成された仕事です。AGGTは、その仕事の外側に、自分たちなりのささやかな観察の枠組みを置いて、距骨下関節という小さな交差点で起きていることが、その上に立つ全身にどう波及するかを、ただ観察しようと試みているだけです。
AGGTが扱う基本式は、たった一行です。
d = H × tan(α)
踵骨傾斜角 α が1°変われば、身長 H に対して d ぶんだけ重心軸が偏位する。
この計算自体は、誰の身体でも同じように行えます。三角関数は嘘をつきません。けれど、同じ α の値が、人によって違う意味を持ちうる——ということを、私たちはKirby博士の「軸の束」概念から学ばせていただきました。
α=3°の踵傾斜が、ある人にとっては「軸の束のなかで楽な位置」かもしれない。別の人にとっては「軸が大きくずれた、辛い位置」かもしれない。同じ数値が、関節の形によって違う意味を持ちうる——そう考えるからこそ、AGGTは補正の正解を断言しません。
AGGTがするのは、ただ一つだけです。踵骨傾斜と、それが全身重力軸にどう波及するかを、誰でも、無料で、世界中のどこからでも測れるようにすること。その先にある「誰にどんな介入が、どう効くか」の答えを、世界中の追試観察と一緒に、ゆっくり積み重ねていくこと。
Kirby博士の2001年論文を読み返していると、ある誠実さに、深く頭が下がります。
博士は、「距骨下関節の軸を、こう介入すれば必ずこうなる」とは書かれませんでした。軸の位置が人によって違うのだから、介入の答えも一律には決められない——その個別性を、博士はずっと尊重されてきた。
Kirby博士が私たちに残してくださったのは、答えそのものではなく、個別の身体を観察するための「言語」でした。STJ Axis Palpation Technique という触診法、軸の束(bundle of axes)という概念、回転平衡(rotational equilibrium)というモデル。これらは、答えを決めつけるための道具ではなく、一人ひとりの身体の前で、丁寧に問い直すための道具です。
AGGTがオープンソースで公開しているもの——スマートフォンで踵を測るアプリ、d = H × tan(α) という計算式、撮影プロトコル、観察フォーム——も、できれば、Kirby博士が残してくださったような「問い直すための道具」でありたいと願っています。
AGGTサイトに掲載されている数値・係数・閾値の多くは、AIとの対話から生成された暫定的な目安です。臨床経験や学術研究によって確立された値ではありません。これらは、世界中からのデータ蓄積によって検証・更新されることを前提として公開されています。
「分かっていることは自信を持って書く。分かっていないことは正直に分かっていないと書く。」——Kirby博士から学ばせていただいた誠実さを、AGGTもささやかに引き継いでいきたいと思っています。
Kirby博士、ありがとうございます。
博士のお仕事に、敬意を込めて。
Kirby KA. Subtalar joint axis location and rotational equilibrium theory of foot function. Journal of the American Podiatric Medical Association. 2001;91(9):465-487.
Kirby KA. Methods for determination of positional variations in the subtalar joint axis. Journal of the American Podiatric Medical Association. 1987;77(5):228-234.
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